自由の定義を再確認
前回は公務員の採用についての話題でしたが、今回は私側の話題になります。
まずは民主主義の自由と自然状態の違いについて少しおさらいしておきましょう。
さて、人間は本能的には民主主義者なのにどうして独裁者が出てくるのかというと、まず最初はどこの組織でも民主的な方法でリーダーが選ばれます。
ここでの民主的というのは組織の構成員から支持されてリーダーに選出されるという意味です。
選挙の有無は関係ありません。
とあるサッカーチームにおいて「人望がある人」じゃなくて「一番上手い人」をキャプテンに選出するとなっていた場合、「一番上手いけど人格がクズな人」がキャプテンに選出されるのは民主的なやり方になります。
人格がクズな人が嫌ならチームを辞めるなり文句を言うなり何なりするでしょう。
利益の供与(金銭的なやり取り)或いは不利益の回避(暴力やいじめ)が理由で自分の意志で文句も言わずにチームに残ることを選択したのであれば、それは自分自身が一番幸せになるための選択をしたわけですから、それは民主的と認める必要があるのです。
しかしそうなると地図上の赤い国も含めたほとんど全ての国が民主的な方法でリーダーを選出した国ということになり、違うのは現在進行形で国家を二分するレベルでの内乱が発生している国ぐらいになってしまいますね。
ここで言いたいのは、たとえ政治体制が独裁の国家であったとしても、それはその国民それぞれが「自由」にそして「論理的」に考えた上で「自ら選んだ結果」だということです。
だって、無駄に逆らわず権力者に従って生きた方が「楽」に「確実」にそして「幸せ」に生きることが出来るのですから、誰だってそっちを選びますよ。
しかし、一般的にはそういう国は「自由な国」として認められることはありません。
国民一人一人を見れば皆自分の意志で誰からも強制されずにちゃんと考えて選択しているのに、それでも自由とは認められないわけです。
なので少なくとも筆者の考えの中では、民主主義における自由と自然状態の自由を明確に区別しています。
民主主義における自由は「平等なルール」と「弱い方に徹底して与えられるチャンス」の二つを指し、自然状態の自由は「弱肉強食」のように強い者が好き勝手に振る舞う自然の節理を指します。
なので強い者に制限を加えて抑えつけるという寧ろ不自然な状態を作り出すのが民主主義における自由という概念になります。
だからグローバル企業とか新自由主義者とかが「もっと自由にやらせろ」と要求しているわけですが、あれは一種の欺瞞というか勘違いというか、、、もし本当にもっと自由にやらせるのであれば、強い彼ら自身の行動が制限されることになるんですよね。
だから彼らの本当の要求は自由な状態ではなくある意味無法な状態、要するに自分達が儲かりゃ何でもいいって感じなんですよね。
そして今の世の中って少なくとも建前上は民主主義の世の中で、その中では弱肉強食の自然状態よりも自由な状態の方が上手くいくようになっています。
だから強者を規制する本当の意味での自由経済の仕組みが必要になるわけですね。
それが私側であるエンタメ業界のテーマになります。
今回はとりあえずスターシステムについて解説し、それをどう変えていくのかを語っていこうと思います。
スターシステムについて
スターと言えば今の時代は大谷翔平でしょう。
大谷翔平がスターである理由は二刀流とか色々あると思いますが、やはりまず一番に出てくる理由は最強のプロ野球選手だからです。
というわけでスターの条件としてまず挙げられるのがその業界で最強の存在だということになります。
こう言うと考えられる反論が長嶋とか松井とか本田とか実力がナンバーワンではなくてもスターはいる、というものです。
しかし、彼らの対抗馬に王、イチロー、香川という最強の存在がいて、彼らと人気を二分していたという事実が、長嶋、松井、本田はスターとして独り立ちできなかったということを証明しています。
そもそも何故スターという存在を作るのかというと、全ては宣伝のため。
野球という競技、サッカーという競技を皆に知ってもらうためには、本来であればまず最初にルールを知ってもらって、それから実際に競技に参加してもらうという手順が必要になります。
トランプのババ抜きとか大富豪とか神経衰弱とか、皆まず最初にルールを覚えてからゲームに参加しましたよね。
しかし、そうするとルールを覚えて実際に参加してくれた人以外には広まらないことになります。
だからルールの話とか難しいのは無しでどうにかして人々の興味を引き付ける必要があるわけです。
スターによる人間ドラマ
とりあえず、エッチなことには皆興味があるから興味を引き付けるならエッチなことと絡めりゃいいってことになりますが、一事が万事エッチな事ばかりだと皆疲れてしまうので、段々とそれらは隠れるようになっていき、社会的にもそれらを隠した表現というものが推奨されるようになっていきます。
そこで有名人のスキャンダルとか人間ドラマというものがエッチな要素を隠ぺいしたエッチなコンテンツとして人気を獲得していくわけです。
この人間ドラマの部分がスターに課せられた第一の役割で、野球とかサッカーとかのコンテンツに興味がない人にもスターの人間ドラマを通して興味を持ってもらおうってことですね。
とはいえテレビのワイドショーとかで大谷選手の犬やら嫁やら住所やらを晒したところで、それを見て新規の野球ファンが生まれるなんてことはないわけで、、、野球にお金を落とすファンに育てるためには当然野球がメインのドラマにしなければなりません。
そもそもお金を出す習慣がなかったものに対して新しくお金を出すように行動が変容するのって結構すごいことで、むしろそういうのをちゃんと自制できないと浪費癖でまともに社会生活が送れなくなります。
だからそういう人間に備わっているリミッターを解除出来るだけの何らかを与えることが出来なければ新規のファンは生まれない、ワイドショーの犬晒し嫁晒し家晒しでは絶対にファンが増えない所以ですね。
課金のハードルを越えるって結構すごい事
そしてこの人間に備わっている新規の支出に対するリミッターの存在こそがスターが業界最強でなければならない理由になります。
新規課金への過程をフロチャート風に書くと、興味を持った→実際に見た・体験した→面白かった→もっともっとってなった、という段階まで進んでようやく課金候補になります。
これがエンタメ業の難しさですね。
生きていく上で必要ではないからこそ課金に至るまでのハードルが高いのです。
そしてそれ故に「業界に対する信用」という部分が大事になってきます。
自分の子供の教育を任せる場合、先生を信用できるかどうかってのはすごく大事ですよね。
方向性としてはそういうのに近いと思って下さい。
物を買う時一々そこまで覚悟とかしないよ、と反論されるかもしれませんが、これはそんな日常の買い物風景の話ではなく、それまで全く習慣のなかったものに対して躊躇なくお金を出せるか?という話です。
SNSとかで○○のファンであることがバレただけですぐに「○○信者」と認定される、そんな現象を見たことはないでしょうか?
本人からすれば普通にしているだけなのに周りから見ると異常に見えるぐらい熱量が高い、自覚症状がない人が多いでしょうがエンタメのコンテンツにお金を払うという時点で相当好きな証拠であり、それが態度にも表れてしまうから「○○信者」みたいに言われてしまうんですね。
そういうわけでスターというのは売り出したい人間を恣意的に選んでいいわけではなく、お金を払わないお気楽な層からすれば誰がスターでも構わないでしょうが、課金を迷っている層からすれば業界の公平公正さというのは重大な判断材料になります。
だから実力だけで選ばなければいけないんですね。
ひょっとしたら実力だけで選んだら人間性がクズな奴を選んで逆にイメージダウンに繋がらないか?っていう心配があるかもしれませんが、サッカーのマラドーナとか世界には人間性がクズなスーパースターなんてのはいくらでもいます。
そして寧ろそういう人の方が優等生なスーパースターよりも人気があったりするものです。
仮に多少の犯罪歴があったとしても共感できるぐらい人間ドラマで深掘りされ紹介されるので、その辺は問題ないんですよね。
まぁ興味がない人達のイメージダウンはあるでしょうが、そういう人達は元々コンテンツにお金を落とす人達ではないですから相手にしなくていいのです。
スターの封建性
先ほどスターという存在を作るのは宣伝のためと言いましたが、もう少し生々しくざっくり言ってしまうと、スターに稼いでもらって群れで儲けを分け合うためですね。
エンタメの仕事というのは基本的に他人に出来ないことをやるのが仕事、しかしそれだと極僅かな人間しかその道で食っていけないことになります。
特に野球とかサッカーみたいなチームスポーツだとNPBの所属選手が900人ぐらいでJリーグが1800人ぐらいいるわけですが、自力で稼げる人だけをプロにする仕組みだったらとてもそんな人数揃えられません。
だから環境を整えて高い競技レベルを実現しようと思ったら、自力で稼げない人にも枠を用意してやる必要があるのです。
このスター選手と一般選手の関係はまさに御恩と奉公の関係と言えます。
一般選手を集めて稼ぐための舞台を築いてスター選手の活動を支え、そしてスター選手でお金を稼いで一般選手に俸禄を分け与えるのです。
この理屈はスポンサーとか親会社の存在によって、実際に選手の給料を出しているのは彼らであることから分かりにくくなっているのですが、彼らスポンサーや親会社のことを転売ヤー、つまり価値のあるものを右から左へ転がすことで中間マージンで利益を得る者、という風に認識すれば少しは分かりやすくなるかもしれません。
どういうことなのか江戸時代の工人と商人の違いで例えてみましょう。
とある商品を作って売る場合、実際に価値のある商品を作るのは工人で、商人は作られた商品を右から左へ流してそれで利益を得ています。
工人の仕事次第で商品の価値は大きく変動しますが、商人の仕事は商品の価値を創造する類のものではありません。
この工人と商人の違いをもっと論理的に上手く説明出来ないのがもどかしいのですが、この二つは商売に対するアプローチが根本的に違うということだけでも理解していただけたらいいです。
スターの話に戻りましょう。
工人と商人の話で言いたかったのは、選手と選手の間には先輩後輩的な関係に代表されるような封建的な関係が成立しうるだけの絆がありますが、選手とスポンサーの間にはそれはないということ。
その理由は商売に対するアプローチが全く違うため。
それだけで仲が良くないと言い切れるものではないのかもしれませんが、実際経営者側とスポーツ選手側って同じ組織に所属する仲間なはずなのに、互いに会うのは年一回の契約更改の時だけとか、それすらも「ビジネスの話はしたくない」ということで代理人に任せたりとか、お互いに苦手にしてるっていうのはこういった慣習にも表れていますよね。
そしてこの考え方の違いというものが、スターという存在に対する認識の違いになって表れてくるわけです。
商人的な考え方だとスターというのは実力度外視でとにかく人気があればそれでいいという考え方で、工人的な考え方だとスターは実力主義でなければならないという考え方になる。
そしてコンテンツの価値を作るのは商人ではなく工人だから、スターシステムを採用するなら工人的な実力主義の考え方でやっていかないと意味がないよってことですね。
江戸時代の身分制度についての補足
先程の工人と商人の例では分かりやすくするために敢えて商人に対する差別的な視点をもって語っています。
「工人」というおそらく見慣れないであろう造語を使ってより士農工商の身分制度を意識させるようにしているのもその一環です。
普通は「工人」は「職人」という表記ですから。
そもそも江戸時代の工と商ってどちらも町民という分類で一緒くたに扱われていた感じでしたから、工と商の間に身分差なんて実質ないようなものだったと思われます。
基本的に士農工商の身分制度というのは武士の支配構造を盤石にするための制度だったので、武士とそれ以外の平民とで分けることを第一の分類、次に平民の中で農村で暮らす人と都市で暮らす人で分けるのを第二の分類として、更に都市部で暮らす人の中で自分で物作って売る人と転売ヤーを分けるのを第三の分類としていたわけです。
第二の分類で農民が町民より偉いというのは自分の土地を所有しているかどうかという部分で判断されるところが大きいでしょう。
都市部に住んでいるから町人は貧乏だと長屋で借家暮らしをするしかなくて、わりかし裕福でもせいぜい家一軒分を購入できる程度。
だから広い土地を所有している農民とはその部分でレベルが違った、ということなんだと思います。
また農民は農業しかしないわけじゃなくて家内制手工業もやっていたわけで、当時の工業の主流は家内制だったわけだから、そういう意味でも町人の上位互換だったわけですね。
第三の分類で工の方が商より上だったのは自力で稼ぐ手段を確立出来るかどうかというのが大きかったと思われます。
商人というと紀伊国屋文左衛門みたいに華やかで武士よりも巨大な権力を持っていたみたいなイメージがありますが、そんなのは極一部の人間のみ。
都市部には武士と町人しかいなかったわけで、そうすると人口比から考えて全ての商人が自分の商店を持てるわけもなく、その殆どが行商人の類だったと思われます。
そして農や工の農作物や工業製品を転売することで生計を立てていた、だから商の地位は農や工より低かったわけですね。
ここまであからさまな商人下げをしてきたんで、一応フォローもしておきましょう。
生産系のスキルを何も持ってなくて地位が低かった商人ですが、寺子屋という教育形態が広まったことにより「読み書きそろばん」という武器を手に入れることができました。
元々スキルの無い人ということで集められた商人という分類でしたが、その後努力して他にはない能力を身に付けて地位を向上させたわけですね。
商人によって作られる似非礼儀
まぁあからさまな商人サゲが続きますが、一応筆者は「転売ヤーの仕組みをド素人が考えてみた」で転売ヤーの擁護をしまくってるぐらいには転売ヤーという職業を認めています。
しかし、だからといって自分自身は商人にはなりたくありません。
なりたくない理由は先程紹介した「商人は価値のあるものを創造出来ない」という商人に対する差別的な意識を筆者自身が持っているから、、、というよりも、そういった差別的な意識の中で育まれてきたであろう商人的な慣習とか価値観がどうにも受け入れがたいと、、、そういうわけです。
それが筆者がスターシステムにおいて実力主義を推している理由であって、その受け入れがたい商人的な慣習というのが接待ゴルフとかの意味不明な接待の慣習ですね。
筆者から見て接待ゴルフがどれだけ意味不明な慣習なのかというと、接待ってぐらいだから接待する相手を喜ばせるためにやってるんだと思いますが、相手がわざと負ける舐めプをしてきてそれで喜ぶ人ってどんな人よ?
接待でわざと負けて、そこに相手に対する敬意を感じ取ることが出来ますか?
筆者にはどう見ても相手に対して失礼な行為にしか思えないですし、いったい何が目的で接待ゴルフなんてものをするのか一ミリも理解できないんですよね。
しかし現実として接待ゴルフという意味不明な慣習が蔓延り、目上の人相手に手加減をしてわざと負けることが礼儀となり、タブーを犯せば取引停止という、、、いつの間にか自分を卑下して結果相手の価値も貶める、、、それがお金を稼ぐための条件にいつの間にかなっている。
これ、接待ゴルフが特別なんじゃなくて、こういう慣習は至る所で見られるわけで、むしろこうやって自分自身と周りにデバフをまき散らすことこそ、腐敗と呼ぶにふさわしいのではないかと思います。
よくいるんですよね、若い学生のうちに勉強しておかないと齢を取ってからは吸収力とか上達するスピードが落ちて勉強出来なくなるから遅い、とか言っちゃう大人って。
あれってただ単に社会の荒波に飲まれて自分自身を卑下してデバフかけて腐ってしまったからやる気がなくなって勉強とか努力とか出来なくなっただけですから。
確かにプロスポーツ系の職業であれは齢を取ってフィジカルが衰えて引退するわけで、齢を取ってから始めてトップアスリートになれるかっていったらそんなことはないわけですが、あくまでもトップオブトップにはなれないってだけで、セミプロとかレッスンプロのレベルであれば十分行けます。
当然吸収力とか上達するスピードが衰えてないからそんなことが出来るわけで、年齢的な衰えなんかよりもメンタルとかやる気とかどれだけ本気で取り組むかといったことの方が成長スピードに与える影響は遥かに大きいのです。
筆者も人間ですし、人間ってのは弱い生き物だから別に周囲にデバフをばらまいてしまうことに関しては仕方のない事だと思っています。
接待する相手の機嫌を損ねるのが怖くて、ついわざと負けるという選択をしてしまうこともあるでしょう。
でもわざと負けるという本来なら屈辱的な事例を逆に「礼儀」にして「慣習」にして「強要」してしまうとか、どんだけ恥知らずなんだって思わずにはいられないのです。
スターシステムの問題点
スターシステムの問題点はこれまでの内容から想像しやすいと思いますけど、現状商人の影響力が強すぎるってことが問題なんですよね。
まぁだからこそ商人の力を抑えるのに、産業をインフラとエンタメで分類してインフラを公営化する、という以前語った政策が生きてくるわけですけど。
商人に権力を持たせるのが問題なのは、実力による後ろ盾がない分不相応な地位を得た人間は、その地位を失うことを極端に恐れてしまうから。
要するに責任回避の動きから変なルールが作られ蔓延する原因になるんですよね。
先程紹介した接待ゴルフにしても、マナーや礼儀というものが取引停止とか契約解除の直接的な原因になることは殆どなく、実際はそれ以外の失態による信用失墜をあたかも礼儀のせいであるかのように振る舞って責任をなすりつけているだけですからね。
商売に必要なもの
この問題から脱却するためには商人たちから離れて独立して構成員達で組合を作って経営していくことが必要になります。
要するに、工と商をきっちり分けましょうってことです。
割と勘違いされがちなんですが、実は商売をやっていくのに商人は必要ありません。
商売をやっていくのに必要なのは「商品」と「信用」、このうち「商品」は商人には作れませんし、「信用」は商人じゃなくても得られます。
では商人というのは商売において何をやっているかというと、「投資」という名のギャンブルをやっているんですよね。
「投資」で勝てば利益は何倍にもなりますが、負ければもちろん損をします。
そして「投資」をするのであれば、確かに商人でないと分が悪いです。
「素人が株に手を出すと痛い目を見る」と言われるように、ギャンブルとはいえ無知な素人が入って勝てるほど甘くはないということですね。
しかし、投資に手を出さなければ素人が商売をやっても全然問題になりません。
商人が跋扈しているせいで皆勘違いしていますけど、資本主義における競争というのは、いかに良い物を作って客の信頼を勝ち取るかの勝負であって、人を騙す勝負ではないのです。
おわりに
スターシステムにまつわる商人たちの問題を解決するには、人々の間に商品の質と信用だけで商売を成功させることが可能だということ、そういう認識を広めることが重要になります。
筆者のやっているこの3Dモデリングの活動なんかもまさにその一環です。
耳目を引くスターの役目がピアノ演奏の投稿で、そこからホームページに誘導するわけですが、3Dモデル自体の有用性を伝えるだけだと新規課金に至るまで動機付けとして弱すぎる。
なので社会思想的な要素がふんだんに詰まったこれらの投稿にも目を向けてもらって、言葉の端々に表れているであろう私の腐った人間性も含めてオープンにして、結果的に信頼を勝ち取ろうという魂胆ですね。
今回は難産でしたがこれで終わります。
次回はテレビとかSNSとかのコマーシャルについて触れる予定です。

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