前回公と私の概念について説明しましたが、今回もその概念の下で話していくので箇条書きのまとめ部分を引用しておきましょう。
- 公は公開で私は秘密(限定された公開)を表す
- 公は規律で私は自由というイメージは間違い、むしろ私の方が制限が多い
- 公の中に秘密は存在するが秘密の中に公は存在しない
- 公企業と私企業の間にその公共性において違いはないが、大企業と小企業の間になら強弱の意味で違いがある
- 法律という権力は皆に平等に公開され皆が平等に使うことが出来るが、法律を設定することが出来るのは限られた一部の人間だけ
私企業の持つ公企業との共通点
今回はまず公企業と私企業の間に公共性において違いはない、というところをもう少し詳しく考察していきます。
公営でも民営でも同じ様に腐っていきます
NTTもJRも郵便局も公営から民営に変わり、その結果大なり小なり便利になりました。
一見するとそれが公と民の違いだと思うかもしれませんが、その便利になったもののうち一つでも公じゃ出来なかったもの或いは民だから出来たものはありましたか?
そんなものは一つもなくて、民営化して便利になった理由は公営時代の組織が腐敗していて、新しい方法とか技術とかを取り入れられなかったからです。
民営化の理由って表向きは民営の方が自由な経営が出来るとかだと思うんですが、実際は自由な経営とか全く関係なくて、経年劣化で腐敗した組織に巣食うゴミ共(上層部の人間)を民営化というイベントを起こしてゴミ掃除することが目的だったんですよね。
だからNHKとか東電とか日産とか民間ですけど腐ってるでしょ?
公営でも民営でも組織は巨大化し長く君臨し続けることで必然的に腐敗していきます。
なので定期的に中身を入れ替えて血をキレイにしなければ組織というのは持たないわけです。
モノを買うということはその度に選挙をしているようなもの
まぁ前回腐った組織を扱い過ぎた名残で組織が腐るって話から入ったわけですが、今回のメインテーマはそこじゃない、節タイトルのように我々はモノを買う度に選挙をしているという話です。
話は横道に逸れますが皆さん思い出していただきたい、実はこれまでの話って全ては3Dモデル作成という商品を売るためにやってることだってことを。
- どうすれば売れるか→製作者のことを信用してもらう
- 信用を得るにはどうしたらいいか→製作者の思想とか考え方とか知ってもらう
- 知ってもらうにはどうしたらいいか→好きなものを好きなように好きなだけやる
- それらを素材として集めて一万円出しても惜しくないなって自分で思えるコンテンツを作るのが今の目標
- そこに至るには今はまだ素材が足りぬ、今のターンは仮想都市計画というものを通して自己紹介していこうというターン
そんな感じでやっているので読んでる側からしたら3Dモデル販売とあまり結びつかないかもしれませんが、作ってる側としては特に問題なく自分を偽らず紹介できていると思いますので今のところOKですね。
まぁそういうわけなので、モノを売る=選挙という発想に行きつくのはある意味自然なことだと思うのです。
選択肢があるようでない
選挙で投票先を選ぶ時って多分消去法で仕方なく選んでる人は多いと思うんですが、スーパーで日用品買う場合もそれと同じような心持ちではないですかね?
野菜とか肉とかそれぞれ数種類ずつしか店頭に並んでなくて、沢山の候補の中から選んでいるという人はあまりいないと思います。
誰か店頭に10種類のニンジンを並べているスーパーを知ってますか?
大型店でニンジン何百本も山積みになってるような店でも種類というか産地というか2~3種類あればいい方でしょう。
肉にしても豚バラ肉が10種類から選べるような店は無くて、モモカタバラブロックそれぞれ一種類しか置いていないような店が多いと思います。
まぁこんな感じで意外と我々の買い物って選択肢が用意されているようで実はされてなかったりといったこともしばしば見受けられます。
これって現状の公職の選挙も同じような状態だと思うんですよ。
選択肢が用意されているようで実はされていない、推したい候補がいない、いつも同じ面子で変わり映えがない、って選挙に行かない理由にいつも挙げられてますからね。
多様性はエンターテイメント
もちろん「如何なる消費行動にも選択肢なんてものは存在しない」なんて事を言いたいわけではなく、選択肢があるものも沢山あります。
また、コレに関しては選択肢がない現状を駄目だと批判しているわけでもないです。
野菜にしても選挙の候補者にしても良いものを見抜く”目”を持っている人からすれば山積みにされた同一産地の野菜の中から新鮮でおいしい野菜を選ぶことが出来るわけで、選べないのはその人に見る目がないだけのこと。
見る目がなくて損をするならそれは自業自得でしかないんですよ。
ただ、選択肢のある買い物ってどういうものか考えたとき、そこには常に何らかのエンターテイメント性がくっついてる気がします。
例えば服を買う時デザインを意識しない人はいないでしょうし、化粧品とかも見た目とか匂いとかそういう変化を楽しむためのものです。
何らかの楽しみが発生するからそこに選択肢が生まれ、逆に選択肢がないのに商品として成立するってことはそれは生活必需品であることの証左なのかなと思います。
だから米とか牛乳とかって生鮮食品で生活必需品ですけど、割と選択肢が用意されている部類だと思いますが、そこは味の楽しみとか健康志向とかで皆の興味を引いているからと考えることが出来そうです。
モノを買う選択次第で社会は大きく変わる
そんなわけで、モノを買う=選挙説を推している身からすると、選挙の選択肢を増やしたいなら選挙というものをエンタメ化して皆に興味を持ってもらうようにしたらいいと思うのです、つまりドラフト制度の導入ということ。
まぁそれは別に置いといて、言いたいことは結局何かというと、モノを売ったり買ったりする日常的な行為も政治家を選挙で選ぶのと同様に社会に対して大きな影響を及ぼす極めて重大な行為だってこと。
そしてそれは確かに重大で場合によっては反社組織に資金を注入して日本を滅ぼすことにも繋がりかねないんだけど、あまりに日常的すぎるから深刻に考えてもしょうがないってことですかね。
この辺は民主主義の本分なんですが、結局は自分自身が一番得する(お金以外の意味も含めた考え)ように動くことが一番社会全体の利益に叶った動きになるので、「安いからって中国製品買っていいのか」みたいな場合どうするかは、自分のコミュニティでその行動を取った時に自分自身にどういう結果が返ってくるかを見極めて決めればいいと思います。
要するに、大体の場合は安い中国製品が欲しければ買えばいいし中国製品が嫌いなら買わなければいいで済む話です。
仮に自分の我を通して何か社会的な不利益を被るようなら、そこで無理に戦う必要はないし、屈するのを受け入れられないのであれば抗えばいい。
そして自分自身の選択が間違っていることなんていくらでもあるわけだから、間違いに気付いた時にすぐ手のひら返しをするのが満点対応だと思いますね。
インフラ業を公務員にエンタメ業を民間に
ここまでの話を総合してようやく仮想都市計画の話に戻って来るわけですが、それは都市内の仕事をインフラ業とエンタメ業に分類して、インフラ業を公務員、エンタメ業を民間という風にすればいいんじゃないかなってことです。
そして公務員はパブリック産業ということで、資格職以外誰でもなれるようにする、枠で採用人数を絞ったりせず応募が多い場合はワークシェアで対応する、そんな仕組みを考えています。
つまり予算とか人件費の総額は予め決まっていて、人件費はワークシェアで山分け方式になります。
なので人気がある職は給料が安くなり不人気職は逆に給料が高くなります、それを利用して応募が集中し過ぎるのを避けるって感じですかね。
まぁ詳しい仕組みの話は次回するとして、今回はどうしてその様な考えに至ったか、これまでの話のまとめも兼ねてやっていきましょう。
労働は辛いものだからインフラ業は平等に分かち合った方がいい
ここでは仮想都市計画でインフラ業を公務員、エンタメ業を民間に分類する理由を見ていくわけですが、そのうちの一つはB to Cを目指す理由 その1で話したように、基本的に労働というのは普通の人にとっては辛いものだからです。
そこでは、労働は辛い→組織を形成→血みどろの抗争→責任回避→民主主義という宗教にすがる、という流れを見てきましたが、民主主義国家を作る時、権力者は自分に利権を残すために民主主義という宗教を利用したことは確かです。
ですが、日本のような先進国と呼ばれている国で生きている人達にとっては、当時の権力者の意向なんて昔過ぎて知ったこっちゃないんですよね。
段々と所謂昭和の理不尽が通用しなくなってきていることは、皆割と実感できてるんじゃないかと思いますが、そうなると楽して儲けてる企業に対する不満が大きくなっていきます。
その分かりやすい例がNHKですね。
そしてNHKはインフラ企業ではないですが、NHKの受信料制度と同じ問題を抱えているのがインフラ企業ということになります。
要するにインフラ企業というのは民間でやってしまうと、需要が約束されているので楽して稼げると認識されているのと、それを嫌って競争原理を導入したら今度は安定供給との相性が悪くなる、この二つがあるから支持を得るのが難しいんですね。
それってどういうことかというと、何か悪そうな大企業が国の庇護を受けて悪逆の限りを尽くしている、という悪の象徴みたいなイメージを持たれるってこと、まさに今のNHKみたいに。
結果ちょっとしたことでも理不尽に叩かれてしまうので、組織自体が情報を外に漏らさないことに力を使うようになり、そのことがより不信を生むという悪循環に陥ってしまうわけです。
公の財源が主に税金となっている現状から抜け出す必要がある
インフラを公務員、エンタメを民間にする理由の2つ目ですが、税金は道路鉄道整備や警察防衛以外の分野で恒常的な財源として使ってはいけない、というのが理由になります。
B to Cを目指す理由 その2で税金について語っているんですが、その中で「金がないなら自分で稼げ」と言っています。
要するに国としてやりたいことがあるなら、それを仕事にしてしまえばいい。
税金に頼らなければ出来ない仕事というのは最低限の公共性が担保できていない仕事、ということですね。
税金はそのシステムを使って国民の行動を「抑制」するのが役割です。
だからもし善い税金と悪い税金を分類するのなら「煙草税」「酒税」「ガソリン税」なんかは善い税金で「消費税」は悪い税金になります。
前3者は何を抑制したいのか目的がはっきりしていますが後者は何を抑制したいのか分からない、というのが善悪の判断基準になりますね。
まぁそれは既に話したことなのでいいとして、ここで道路鉄道整備という分野が税金を恒常財源にしていい分野に設定されている理由を箇条書きにして述べておきましょう(警察や防衛の方は説明不要でOKだと思います)。
- 全部民間に任せると有料道路ばかりになるので利便性の点で効率が悪すぎる
- 道路や鉄道というのは数十年数百年単位で少しずつ整備されていくものなので保険料制度のようなシステムとすこぶる相性が悪い
2の理由をもう少し詳しく解説すると、道路整備の恩恵を一番受けるのは整備された土地に住んでいる人であって、そこから離れれば離れるほどその恩恵が薄れていきます。
そして全国一斉に必要な個所の道路整備が出来るだけの資材も労働力も全く足りていません。
なので沢山ある整備候補の中から実際に整備する道路を人間(俗に言う道路族議員とかいう人達)が責任をもって選択する必要があるのです。
そしてその整備対象から外れ続けると、場合によっては自分の家の前の不便な道路が全く整備されまいまま生涯を終えることもあり得ます。
そんな状態で健康保険料のような形で公平負担を求めるのは流石に無理があるので、道路鉄道整備に関しては税金で運営するのが合っているわけなんですね。
ドラフト制度下なら公に属することで情報公開が約束される
インフラを公務員、エンタメを民間にする理由の3つ目は仮想都市計画では上級公務員の人事でドラフト制度が採用されていることを見越しての判断です。
インフラ業が民間だと組織の運営形態は経営者に委ねられているので、情報公開が不十分なインフラ組織が作られる可能性がありますが、公務員にすれば組織のトップは選挙で選ばれることになるので秘密ばかりだと選挙に勝てない、つまり情報公開が約束されるわけです。
ドラフト制度を採用している以上、今の日本の公務員とは全く違う組織になりますからひょっとしたら情報公開が約束された組織というものがイメージしづらいかもしれません。
期待させ過ぎている面もあるかもしれませんが、実際は情報公開の程度は現代の政治家と同じぐらいだと思って下さい。
つまり、当選に必要な分しか情報公開されないし、不利な情報は隠そうと動かれるでしょう。
本当に情報公開が行き届いた制度にするには隠した方が不利益になると分からせる必要があるので、市民の方でしっかりとドラフト会議を見て考えて、それを次の選挙に生かしていく必要があります。
進化を担えるのは民間だけ
インフラを公務員、エンタメを民間にする理由の4つ目はpublicとprivateに本来備わっている要素との相性を考慮してですね。
インフラ業が秘密ばかりだと困るのは説明不要だと思いますが、エンタメ業のprivate要素は例えば特許とか著作権が挙げられます。
ちなみに便宜的にエンタメ業と名付けて分類していますが、実際はインフラとその他の仕事という分類が正しく、その他を全部まとめて「何らかの形で人々の興味を引き付けて商売として成り立っている仕事」という意味でエンタメ業と呼んでいるだけです。
なので芸能人がどうのこうのしてる業界というよりもっと大きなカテゴリーになりますね。
自動車とか家電とかある意味生活必需品を作っている製造業もエンタメ側に入りますし、食べ物も御菓子等はエンタメ側です。
ただ、製造業に関してはこれから先の動向次第といったところもありますね。
どんな分野でもずっと進化をし続けるというのは不可能なので、進化が頭打ちになった段階で公務員側にシフトすることになると思います。
そう、エンタメ業に求められているものというのは進化とか追求とかにあります。
それが出来るのは正直民間だけ。
公務員の方は誰でもなれるようなシステムにするので、やる気のない人の受け皿にもなる必要があります。
公務員全員がやる気がないわけではないですが、組織自体やる気のない人たち向けな部分があるので確実に足を引っ張られちゃうんですね。
大学は研究機関ではないのか?
大学というのは私立大学も含めて公的な研究機関なわけですが、進化や追求が出来るのが民間だけという論が正しいのであれば、研究機関としての大学はその役目を終えたのではないか?という仮説ですね。
まぁたとえそうであっても、教育機関としての役割は依然としてあるので、今すぐ大学解体という話になるわけではないです。
音楽とか芸術とかスポーツ特待生とかはこれまで通り大学で切磋琢磨して腕を磨いていけばいい。
これらの分野はあくまでも活動するために大学という場所を提供しているだけであって、実際に努力しているのは個人なわけだから「民間でなければ進化できない」論の趣旨に反するわけではないです。
ここで役目を終えたと言っているのは、例えば法学とか文学とかetc教育カリキュラムに実技訓練的な項目がない科目については間違いなく役目を終えていて、農学や工学のように実技はあるが仮に設備投資に大金がかかっているような場合は微妙、といったところですかね。
何故実技訓練のない科目において大学はその役目を終えたのかというと、大学の役目というのは知識人達を一か所に集めることで学問をする上で便利な環境を作ることにありますが、それがインターネットの登場によって地理的な意味で何処か一か所に知識人を集める必要がなくなってしまったわけです。
筆者的にそのことを実感できる事例が↓です。

この大長編ドラえもん のび太の魔界大冒険は1980年代の作品でして、この時代にこの知識をそらんじて語れる出木杉君がヤバすぎるんですが、2020年代の今となっては仮に小学生が出木杉君と同じことを出来ても別に( ´_ゝ`)フ-ンで終わる話なんですよ。
何故かというと、1980年代であればこれらの知識に触れるためには必然的に本を読まなければいけなくて、出木杉君がこの知識を仕入れた本のタイトルはおそらく「中世ヨーロッパ史」とかそんな感じの辞書みたいに細かい字で延々と書かれている分厚い本だと思われます。
それらの本を隅から隅まで読んで内容もきちんと把握出来ていたからこそ、のび太にこうやって分かりやすく説明できたわけで、小学生でそれが出来る1980年代の出木杉君はまさに天才なわけですね。
しかしこれがインターネット時代になると「魔法」「歴史」あたりで検索すればすぐに占星術やら魔女狩りやら錬金術やらの候補がピックアップされて、その部分だけ知識をつまみ食いすることが出来ます。
だから頭の悪い小学生が占星術やら魔女狩りやらについて知ってても全然おかしくないんですね。
この1980年代と2020年代の出木杉君のヤバさの違いが、そのまま大学の価値の凋落を表しています。
1980年代であれば紛れもない天才だったのが2020年代では何処にでもいるちょっと賢しいだけの生意気なガキでしかない。
そして大学も昔はそこにあるだけでありがたがられていたのが、今となっては「Fランとかあっても税金の無駄でしかないからさっさと統廃合しろ」と言われる始末。
これは大学自体が不祥事等起こして信頼を失ったのではなく、知識を持つということに対する価値が暴落した、インターネットの登場で大学というものが必要なくなった、ということではないかなと思うわけです。
大学がこの先生きのこるには
まぁ知識の集積場としてのアドバンテージがなくなったわけなんで、訓練要素を増やすしか道はないと思われます。
具体的には低学年の時に論理的思考力を養う訓練が必要で、文系学部でも数学や論理学の履修を必須にするとかそんな感じ。
そしてその上で自分のやってる学問の面白さを喧伝していくのが大事なんじゃないでしょうか。
要するにエンタメ要素を取り入れていくということ。
少なくとも何らかの訓練要素がないと市民からも学生や受験生からも呆れられてしまうでしょうから、論理系の基礎訓練をするのが大学生で職業に直結した訓練をするのが専門学校生って感じで住み分け出来ればいい感じに復権できると思います。
まぁこの場合の大学の復権というのはイコール大学全入時代の終焉なんですがね。
受験勉強で暗記しまくって難関大学に入学しても、それまでの暗記という努力が通用しない論理系の授業についていけなければ卒業できない、となると必然的にそれらの生徒が大学進学を選べなくなります。
なので大学進学という進路を選択する割合が激減するでしょうね。
そしてそのことが逆に大卒というステータスをより強固にすることに繋がるわけです。
公金を民間企業に投資するのが駄目な理由
先程農学や工学について「設備投資に大金がかかっている場合は微妙」と書きました。
これらの分野で行われる研究は特定の一部企業の利益に直結しやすい、本来民間で自腹切ってやるべき研究を公が代わりにやってしまう、そういう事態に陥りやすいから微妙と書いたんですね。
公私混同をしないためには公金を民間企業に投資しないという意識は持ち続けなければいけません。
公金を民間企業に投資してはいけないのは、何も公私混同だけが理由ではなく、それは所謂景気対策と呼ばれているものと同じものだからダメなのです。
政治家というのはとかく景気対策というものをやりたがるもので、国民も世論調査で毎回景気対策と年金対策がトップ2に来るぐらい景気対策を政治に要求しています。
しかし、日本の景気がずっと悪いまま、つまり現在進行形で「失われた30年」が起こっているのは景気対策をずっとやり続けてきたからです。
景気には波があるというのは学校で教わる常識なのですが、何故かその学校教育の時に使われるグラフは↓のピンクの線のように長期的な視点で見ると右肩上がりなグラフになってることが多いです。

これは大体こういうグラフを作った人の生きた時代が長期的な視点で見ると右肩上がりな時代に生きていたからであり、当然のことですが右肩上がりな時代と同様に右肩下がりな時代も存在します。
今は長期的な視点で見ればおそらく日本は右肩下がりな時代(世界的に新興国が増えて日本の経済面での相対的地位が低下している時代)になりますので、次の山から前借りして谷を埋める景気対策というものをしている限り、景気はずっと緩やかな後退を続けていくのみとなります。
まぁそんなわけで景気対策とか意味ないよってことなんですが、そうは言っても景気対策を毎回国民自身が求めているわけで、結局国民側としては景気の波とかなくて安定してた方がいいってことなんですよね。
そういうことなら経済をインフラとエンタメに分けてインフラの方は計画経済で安定させてエンタメの方を自由競争にするのが一番上手くいくんじゃない?ってのに繋がっていくわけです。

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