これまで「この活動の目的」タグの記事で色々政治的な内容にも触れてきたのは所謂こういう都市開発の話をするためです。
まぁもはやテーマは都市開発というより都市形成のあり方という感じになっているんですが、とりあえず政治と切り離して考えるのは不可能なので、民主主義の基本的な考え方だけでも予め述べておく必要があったわけです。
コンパクトシティって何?
コンパクトシティというのは分かりやすく言うと都市のエリアを小さい範囲でまとめてしまえば色々効率的になってその結果様々な都市問題が解決しますよってことです。
そのために国では例えば以下のようなことをやっています。

まぁ上の画像は国土交通省の出してる資料から引用したんですが、まぁおそらくこれを見た印象としては「コンパクトシティとか言って何かいろんなことに手を出してるけど、どれもこれも何かふわっとしてて、最近よくある横文字のSDGsやらLGBTやらなんやらで税金泥棒してる活動の一種なんでしょ?」っていう感想をもつかもしれません。
実際その通りです、その認識で何も間違っていません。
政治でやらないといけないことはここに書いてあるコンパクトシティ+ネットワークのような理想を実現するために仕組みを整えること、つまり法整備をすることであって建設やら補助金やらを引っ張ってくるのが仕事ではない。
まぁこの人達は法整備やっても「皆で少しずつ我慢する」案になるから結果は地獄しかないんだけど。
まぁそれはそうとして「小さくまとめるってメリットなの?」って思いませんか?
「都市を小さくまとめると一人当たりのスペースが減って窮屈にならない?」
「広いスペースが欲しい場合もあるから結局大事なのはバランスじゃね?」
これらの質問にちゃんと答えられないと市民達から次のように不審がられるわけです。
「こうやって人間を狭い空間に押し込む都市作りしてヘイト貯めて、その後広い空間を推奨した都市作りで不便になってヘイト貯める、その度に都市作りと称して公金使えてウハウハっての狙っとるんやろ?」みたいな。
日本でやってるこういう政策がことごとくダメなのって、ほしいところだけつまみ食いして都合の悪い部分は見て見ぬふりをするから。
日本においてコンパクトシティを推進する上で一番にやらなきゃいけないことは、一旦東京のような大都市を解体してその機能を分散させること、それをしないで地方の過疎化対策だけでコンパクトシティとか言ってるから胡散臭くなるわけです。
何故大都市の解体が必須なのかというと、大都市こそが言葉通りコンパクトシティから最もかけ離れた存在だからなんですが、むしろ大都市の解体が難しいからこそコンパクトシティという概念が生まれたと言ってもいいでしょうね。
都市というものは拡大することで様々な社会問題を生み出してきました。
ドーナツ化現象とかスラムとかゴミ問題とか他にも色々あるとは思いますが、大都市を解体して小さくすれば大体解決するよってのがコンパクトシティの考えです。
だから過疎化が進む地方都市にコンパクトシティの考えを導入してもあんまり意味はない。
先程紹介した引用画像からも分かる通り「コンパクトシティ+ネットワーク」とか言って経済成長、経済・財政改革、地方創生、健康長寿社会の実現、国土づくり、社会資本整備ととにかく税金沢山使って地方に活気を取り戻してやるぜ!っていう意気込みしか感じられない。
こういうのこそまさに無駄の権化でコンパクトを目指すなら真っ先にやめなければならない考えになります。
地方都市でコンパクトシティを実現する方法の一例
では地方の過疎化が進行した都市でどうすればコンパクトシティが実現できるかというと、あくまでも一例ですが中心市街地の土地とか家賃とかを安くして逆に郊外の土地代とか税金を高くすればいい。
そうすれば自然と人は中心部に集まってきます。
なんやクソ田舎のくせに駅前駐車場が一丁前に有料だったりするパターンって結構多いと思うんですが、あれって駅前という事で無駄に固定資産税とか高くなってるから有料にしないと元が取れないからなんですよね。
で、それによって駅前商店街とか車で行けなくなるからイオンモールに客取られて衰退すると。
勿論駐車場だけじゃなくて住居も中心街の近くに住んだ方が安くなるようにすればそこに人は集まります。
そしてこれは地価公示法とかのルールを変えるだけで出来るので、ぶっちゃけて言うと無料で出来ます。
そして当たり前ですが、現在のルールが間違っているから中心地から人が逃げているわけなので、普通に改正の必要性もあるわけです。
この間違ったルールを改正することが本来政治でやらなければならないことで、本来税金の役割というのは取り方を工夫することによって国民の行動をあるべき方向に誘導することにあるので、ここは税金の取り方を変えて中心部に人が集まるようにする事が正しい政策になります。
そもそも中心部ってのは自然状態で何もしなければ勝手に人が集まるし、取り合いの競争になるから地価というものを設定して高いお金を支払った人に中心部を使わせるというルールなのに、地価を高くし過ぎて人が離れてしまうのはまさに本末転倒、人がいなくなった商店街なんてのは悪政の象徴でしかないのです。
しかし彼らは単なる政治の失敗を景気が悪いから人がいなくなったと嘘をついて、あくまでルール改正じゃなくて集めた税金を補助金として使うことで対処したがるんですよね。
行政が悪な理由
コンパクトシティの説明をしているのに、こうして行政の悪ばかりが出てくるのはコンパクトシティという概念がスプロール現象前提の概念だからです。
というわけでスプロール現象について一応紹介します。
と言ってもここでは辞書的な意味だけ理解していればOKです。
「スプロール現象とは、都心部から郊外に向けて、無秩序かつ無計画に開発が進められる状態を示す言葉だ。スプロール現象のスプロールとは、英単語の「sprawl」から名付けられている。sprawlの意味は「無計画に広がる」「ぶざまに広がる」などだ。」スプロール現象とは ドーナツ化現象との違いや日本の現状 | ELEMINIST(エレミニスト)
つまりコンパクトシティというのは都市をスプロールでない状態にするのが目的という事になります。
別に小さくまとまることが目的というわけではないですし、小さくまとまればいいというものでもありません。
そもそも何もしない自然状態なら勝手に中心部に人が集まります。
それを邪魔しているのは行政です。
だからそこの仕組みさえ変えればまた中心部に人が集まるようになるのです。
仮に行政が土地の値段を付けるのを完全に止めたとします。
するとおそらく民間で勝手に土地鑑定士みたいな仕事が新しく作られてその人が土地の値段を決めていくことになるでしょう。
値段を付けるのはいいけど、仮にその値段で売れなかったらそいつの仕事はクソってことになってその人は仕事を干されることになります。
なので結果的に市場価値に見合った土地の値段が設定されていくというわけです。
この土地鑑定士とかの仕事が今は公で行われているので、その値段が市場価値に見合わず誰も買わなくても誰も責任を取らない。
結果いつまでも間違った土地の値段が続いて中心部から人が逃げていくというわけです。
こんな感じでスプロール現象って一見すると民間が無秩序に無計画にぶざまにやった結果って思われがちだけど、その実は単に行政がぶざまなだけだったってのがオチなんですよね。
という事はスプロール現象が前提のコンパクトシティも実は行政の失敗の尻拭いをしているだけという事になります。
そのことを自覚しないと、コンパクトシティという名目でいくら金を注ぎ込もうが全て無駄になります。
例えば過疎ってしまった地方都市の駅前を再開発したとして、それで人が戻ってきて活気が戻るかというと、その再開発によってまた土地の値段が分不相応に上がるわけだから逆に人はますます離れていくわけです。
それで結局企業に賄賂みたいな形でお金払って誘致しないといけなくなって、企業も商売で稼ぐというより補助金目的でいるだけだからやる気もない、活気なんて生まれるはずもないんですよね。
郊外に住むことは悪なのか?
コンパクトシティでよく槍玉に挙げられる「郊外に住む人は悪」という風潮がありますが、これはむしろ逆で我々は郊外に住んでいる人々のおかげで助かっている部分がかなりあります。
そもそも都会の喧騒を逃れて田舎でのんびり過ごす、これはとても良いことであって決して批判されるようなことではない。
でもエネルギー効率が~とかCO2排出量が~とか行政サービスの効率が~とか言って都心に移住させようとするわけです。
もし仮に郊外に住んでいる人が全員都心に移住したとします。
そうすると郊外の土地は管理する人がいなくなるので当然荒れ放題という事になります。
そういうところに最近流行りの熊が移り住んできたりテロリストの潜伏場所になったり工場跡地とかから変な病気が発生したり、そんなことになったら都心に住んでいる人達も危ないので結局は誰かが郊外の土地を管理するために「自然観察保護官」みたいな仕事が作られて派遣されることになります。
よく「法は権利の上に胡坐をかく者を保護しない」みたいなことを言いますが、日本の領土であるという事はそこを適切に管理する義務も生じるわけで、誰も住んでいないからといって放置してたらそれは都市の人間に返ってくることになるのです。
まぁとはいえ郊外に住むべきでない人もいるというのも事実です。
それは本当は都心に住みたかったけど地価が高くて郊外に住まわざるを得なかった人です。
彼らの嗜好は都市型なので都心と同じような便利さを郊外にも求めてしまう。
そういう人達の数が増えれば都心と同じサービスを郊外にも拡充しなくてはならなくなり、その結果効率が悪くなってしまう、これが顕著に表れるのが介護分野で行政はそこを問題にしているわけですね。

しかしこれまで高い地価を設定する事によって何十年も都心から追い出し続けてきた人達を、介護が必要なぐらい衰えた状態になってから都心への引っ越しというストレスフルなイベントをこなせとか相当な鬼畜やな。
都心への引っ越しを推奨するにしてもせめて50代ぐらいまでにしといてやれや。
あとがき
しかし今回は前哨戦みたいなものとはいえ思いのほか行政批判ばっかりになってしまいました。
コンパクトシティを取り上げたのは理想の方向性が一緒で、こういう都市づくりを目指してますって意味で取り上げるつもりだったんだけど、実際の取り組みが駄目過ぎましたね。
次回は鉄道から都市の話をする予定です。

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