労働のあり方と民主主義
はじめに
さて、B to Cを目指しているしている理由ですが、この記事だけで全てを話せるわけではありません。
根源的な一見関係のない話題から始めて少しずつ進めていくことになります。
それから、政治的な話が出てきますが、この活動の目的は政治とか世の中を変えることが目的ではありません。
世の中というものは勝手に変わるもので、それをどうこうできるわけではないし、しようとも思いません。
この活動の目的は、そういう世の中が変わった時のための準備をすることであり、或いは世の中の変革に応じて何か大変なことに巻き込まれた時に覚悟を強いられるかもしれない、そんな時のための準備をすることにあります。
労働の定義付け
まずは労働という行為を二つに分類して、そこから始めましょう。
ここでは自分に必要なものを自給自足で手に入れる労働のことを自給的労働と定義します。
そして、他の人と分担して行う労働のことを社会的労働と名付けましょう。
社会的労働において仕事というのは「他の人には出来ないこと」もしくは「他の人がやりたくないこと」になります。
なぜなら「出来ること」かつ「やりたいこと」なら自分でやってしまうからです。
だから社会的労働というのは所謂「普通の人」にとっては辛いものなのです。
だって普通の人には出来ないもしくはやりたくないことだから仕事になるのですから。
とはいえ、辛いことはやりたくないのが人間というもの、そこで編み出されたのが「規模の利益」の考え方です。
要するに大勢の人間で協力すれば一人の時には出来なかったことが出来るようになる、つまり「他の人には出来ないこと」が出来るようになるわけですね。
そうやって人間同士で集まって会社とか町とか国とか、そういう組織を作っていくことになります。
組織を作った人間は活動範囲を広げていき、今ではグローバルと呼ばれるように地球全土にまで広がりました。
そうなると当然同じような組織がたくさん作られ、組織の存在意義というのは「規模の利益」によって「他の人には出来ないこと」をすることなので、同じような組織同士で競争していくことになります。
そしてその競争は血みどろの抗争へと激化していき、いつしか争いに勝つことが目的になるわけですが、争えば必ずその損害が出る、そしてその責任問題へと発展するわけです。
権力者っていうのは利権は欲しいけど責任は取りたくないので、何とかして責任を分散させようとするわけですけど、そのために作られたのが「民主主義」という宗教になります。
民主主義という全世界共通の宗教

上の地図は世界人口の71%が「独裁に分類される国に住む」という衝撃(西岡省二) – エキスパート – Yahoo!ニュース って所から引用したんですけど、まぁおそらく多くの人もこの記事の通り「世界の大多数が独裁国家」という認識になっていると思いますから、「民主主義という全世界共通の宗教」なんて言われてもピンとこないでしょう。
まぁ私が言っているのはあくまで本能レベルの話なんで、国の政治体制が独裁かどうかなんてのは関係ないです。
だって「主義」ですからね。
王様が独裁で決めるより民衆が自分達で決める方が格好いいなぁって思った時点でそいつは民主主義者なんですよ。
一方で民主主義じゃない社会というのも存在します。
蟻とか蜂とかって女王が絶対で女王のために他の蟻や蜂達は生きていますから女王主義の社会と言っていいでしょう。
ですがおそらく人間は違いますね。
主君のために忠義を尽くして命を捨てる家臣というのは美談にはなりますが、それは逆に起こり得難い事だということを表しています。
また主従関係には御恩と奉公のようなある種の契約のような関係もあることを考慮するべきでしょう。
さて、人間は本能的には民主主義者なのにどうして独裁者が出てくるのかというと、まず最初はどこの組織でも民主的な方法でリーダーが選ばれます。
ここでの民主的というのは組織の構成員から支持されてリーダーに選出されるという意味です。
選挙の有無は関係ありません。
とあるサッカーチームにおいて「人望がある人」じゃなくて「一番上手い人」をキャプテンに選出するとなっていた場合、「一番上手いけど人格がクズな人」がキャプテンに選出されるのは民主的なやり方になります。
人格がクズな人が嫌ならチームを辞めるなり文句を言うなり何なりするでしょう。
利益の供与(金銭的なやり取り)或いは不利益の回避(暴力やいじめ)が理由で自分の意志で文句も言わずにチームに残ることを選択したのであれば、それは自分自身が一番幸せになるための選択をしたわけですから、それは民主的と認める必要があるのです。
しかしそうなると地図上の赤い国も含めたほとんど全ての国が民主的な方法でリーダーを選出した国ということになり、違うのは現在進行形で国家を二分するレベルでの内乱が発生している国ぐらいになってしまいますね。
では、この引用記事では何をもって民主的か独裁かを分けているのかというと、選挙とか人権関係の法律が整備されているかどうか、をもって判断しています。
なので赤い国ではそれらの法律が整備されていないと判断されているわけですが、その理由は前章の最後の方で少し述べています。
つまり、利権は欲しいけど責任は取りたくない、だから民主主義の制度を導入したい、というのが世界共通の権力者の考えなんですが、赤い国々では民主主義の制度を導入すると既存の権力者の利権構造が維持できないんですね。
もうちょい分かりやすい例で言うと、現政権側の保守派と新興勢力のリベラル派で権力闘争をしていて、権力の分散をしてしまうと保守派がリベラル派に負けてしまうから、やむを得ず権力を集中させている、という状況なわけです。
保守派からすればリベラル派がいなくなれば民主化が出来て、リベラル派からすれば保守派を打倒すれば民主化が出来るという立場です。
どちらも民主化後自分達の組織に利権を残したいので民主化は自分達の手でやりたいというわけですね。
さて、先ほどの段落では赤い国の事情を書きましたが、では青い国は民主化が進んだ国と言えるのか、筆者の意見としてはノーです。
先ほども述べた通り、青い国というのは権力者の利権を維持したまま責任を分散させることに成功した国という事であり、一見公正な法律が整備されているように見えるかもしれませんが、実は様々な法律が本来の民主的な意図からズレた形で施行されているのです。
その辺は歴史上のキリスト教とかの宗教家とかが微妙に教義をズラして教えることで利権を維持してきた構図と似ています。
次回からそういったズレた法整備ついて一つずつテーマを決めて見ていこうと思います。

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