税金という制度から作られる金融業と経営者の関係
前回は「B to Cを目指す理由」というタイトルでありながら民主主義とか殆ど関係ない話で終始していました。
今回は一応「B to Cを目指す理由」まで到達するので一見関係ない話はまだ続きますがご容赦ください。
今回は税金についての話になります。
税金の話題と言えば最近は103万円の壁とか財務省解体デモとかで熱い話題になっていますね。
そんな時出てくるのが「減税しろ」という要求に対して「財源がないから出来ない」という返答なんですが、まぁこれは民主主義国家における「税金」と江戸時代の「年貢」の区別がついてない発言ということになりますね。
それに対して経済学者とかMMT論者とかは「税は財源じゃない」とか「財源は国債で賄えばいい」とか言ってるんですが、まぁそれについてはおそらく間違ってはいないですが、本質的な解決策ではない、少なくとも今の時点で万人が納得するような解決策ではないと思います。
筆者が案を挙げるとしたら「金がないなら自分で稼げ」ですね。
まず国の事業というのは公共性があることが大前提になります。
公共性があるということはそれなりに多数の需要が見込めるということなので、そこでお金を稼げるということになります。
その上で公平な負担を求めたいのであれば健康保険料とかNHK受信料みたいな形で取ればいいのです。
勿論その場合は税金じゃないので国民の方はサービスを受けない代わりに支払いを拒否するという選択肢も取ることが出来ます。
それでお金が集まらなくなるようであればその事業は公共性がないものとして判断され、事業自体廃止されるという寸法です。
まぁそういう斜陽を迎えた公共事業が生き残りのためにNHKみたいな悪あがきをしでかす可能性もありますが、そういう邪悪は可視化された方がいいでしょう。
まぁそれはそれとして「財源がないから減税はできない」という主張の何が間違っているのかを説明していきましょう。
前回自給的労働と社会的労働という言葉が登場しましたが、民主主義の社会において「自分で出来ることは自分でやる」そして「自分に出来ないことは他の人(企業)にやってもらう」というのが基本的なスタンスになります。
そして国というのは社会的労働において「国民同士が公平な取引を行うために必要なルール」を整備するのが役割となります。
国民それぞれがお互いに自分に出来る事をやってそれで上手く回るように国がルールを整えるという関係があります。
税金というシステムもそのために存在します。
決して国がお金を集めるために税金があるわけではありません。
税金と罰金
税金というのはどういうシステムなのか、税金と似ているけどちょっと違う罰金というシステムと比較して見ていきたいと思います。
税金と罰金、どちらも強制的に支払わされるお金という意味では同じですが、罰金の方は刑罰の一種で法律違反をした時に課せられるものになります。
つまり罰金に規定されている行為を国は明確に禁止にしているわけです。
なので「罰金払うからいいだろ」と言って法律違反をし続ける輩は懲役刑になる、、、と思います(具体的な事例を知らないので実際はどうなるか分からないので申し訳ないですが)。
一方で税金の方は国民の行動を「抑制」するのが目的となっています。
法律を使うと禁止になってしまうがそこまで強く規制したくない、むしろ悪いことをしているわけではないので必要な場合は税金を払って堂々と行ってほしい、こういう場合に税金というシステムが使われます。
例えば煙草税とか酒税の場合は飲み過ぎ吸い過ぎは体に良くないので消費量を抑制したいというのが課税の理由になりますね。
他にもガソリン税の場合は限りある地球の資源を無駄には出来ないから大切に使えよってのが課税理由になります。
所得税と消費税
では主要な税とされるであろう所得税と消費税と法人税についてそれぞれ見ていきましょう。
このうち所得税に関しては申し訳ありませんが存在理由がちょっとよく分かりません。
だって言葉通りなら「個人が儲かるのを抑制したい」ということになり、「あいつが俺より儲かってたら悔しいじゃないですか」税になってしまいますからね。
まぁ考えられるとしたら法人税との兼ね合いですかね。
その財産が個人のものか法人のものかという線引きは難しいものがあり、現在においてもかなり曖昧ですからね。
その辺を考慮して個人の財産(所得税の範疇)と判断した場合は収入の時点で確定して高い税率を採用してしまおうという事なのかもしれません。
次に消費税ですが、当然国民の消費行動を抑制するための税金ということになります。
特に日本の場合は基本的に食料等の生活必需品とかも含めて全ての品目に消費税がかかるようになっているわけですが、このような暴挙が許されるパターンにはおそらく次の二つがあります。
一つが戦争や災害等で国家総動員態勢が敷かれていて、あらゆる物資が不足しており、いかなる贅沢も許されないような状況。
もう一つが国民の振る舞いが資源とかエネルギーとか浪費しまくって環境とか後先考えないでゴミを大量に生み出し続けているみたいなア○さんっぽい振る舞いをしていて、それが目に余るから税金をかけて国民の無駄遣いを矯正しようという場合ですね。
さて、現在の日本で果たしてこのような消費行動全体を抑制する消費税というものが必要なんでしょうかねぇ?
法人税の持つ社会的役割
さて、それではこの記事のタイトルである「B to Cを目指す理由」に繋がる法人税の持つカラクリについて話していきましょう。
法人税っていうのは分かりやすく言うと「儲けたお金は使いなさい」税です。
なので法人税が抑制するのは「お金を貯めこんで使わない」という行動になります。
つまり消費税と逆で消費を促す税金ということになりますね。
そして法人税は「会社を大きくする」という方向にも作用します。
儲けたお金を使うと言っても、新しい有効なお金の使い方を考えるなんてのはそう簡単に出来るものではなく、大抵は今やっている事業を拡大させることになるからです。
そんなわけで経済の発展のために必要不可欠な役割を果たしている法人税ですが、ここでも所謂権力者によって歪められたおかしなシステムに作り替えられてしまっています。
使う暇を与えないことで金貸し業へと誘導する手口
法人税というのは「お金を貯めこんで使わない」会社に対する税なんですが、現行システムの最もおかしいところは貯めこんだお金を使う暇を与えずに税金を徴収している点です。

法人税というのは上の図のように売上にかかる様々なコストを差し引いて残った分に最後に税金をかけます。
その年の売上とかコストが確定するのって当然年末なんですが、その時同時に税引前当期純利益も税引き後の当期純利益も確定します。
なので、出た利益を使う暇もなく税金がかけられることになります。
では儲けを出した場合法人税を逃れる術はないのかというとそうではありません。
そこで登場するのが銀行などの金貸し業です。
”お金を借りれば当然返さなければいけません。
そして返さなければいけない分に法人税はかけられません。
だからお金を借りればその分に法人税はかけられない”というロジックです。
法人税の税率って金貸しの金利の上限(所謂過払い金が発生するライン)よりも更に高いので、商品の値段で同業他社と勝負するような業種ではこの手法を使うのは必須となります。
商売の仕組みに入り込んでくる金貸し業
本来民主主義が想定している商売の仕組みというのは、企業が物を売って消費者がそれを買う、それで完結するものだったのですが、そこにこうしてお金を借りなければ価格競争に参加できない仕組みを挿入することで、企業は出資者からお金を借り、そして言いなりにならなければならない構図が出来てしまいました。
本来の民主主義が想定している企業と消費者の売買関係
企
業
売
→
←
買
消
費
者
企業のあり方に出資者の意向が反映されてしまう関係が作られている
出
資
者
貸
→
←
借
企
業
売
→
←
買
消
費
者
本来お金を借りるという制度は「マネーの虎」みたいにお金がないけど挑戦したいという人のためにある制度で、お金を借りて成功して返済したらそれで関係は終わりというのが普通の金の貸し借りの関係なんですが、この法人税がらみの場合は永遠に貸し借りの関係が続きます。
お金の貸し借りの関係ってとても不安定で社会的にも大きな危険をはらんでいます。
経営者が資金繰りに苦しんで(お金を借りられなくなって)自殺、というのが自殺の理由の典型例になっているぐらいですからね。
そういう犠牲を強いているのが現行の法人税のシステムということになります。
そして、こういうシステムにしなければならない理由も基本的には存在しません。
なぜならこれは責任を回避しながら利権を確保するという目的で作られた、本来の税金の持っている民主的な役割からズラして作られたシステムだからです。
「この活動の目的」B to Cを目指す理由
こういうことを言っておいてアレですが、筆者は別にこの悪徳システムを打破しようという目的で活動しているわけではありません。
ただ、自分から進んで悪事に加担しないというぐらいのスタンスでいるだけです。
「この活動の目的」カテゴリーの目的はこういう自分のスタンスとかを伝えるためにあるので、こういう風に言及しておく必要があるのです。
とはいえ、別に打破しようとしなくてもこのシステムが限界にきているのもまた事実。
だって起業して経営者になっても別に自分の好きにやれるわけではないし、やたらと責任ばかり覆いかぶさってきて、はっきり言って良いことないですから、人々の起業意欲自体が失われてきてますからね。
しかも増税続きで働いても税金で取られるだけってなったら、そら誰だってサラリーマンで責任を押し付けられることのない平社員を志望するようになりますよ。
当たり前ですけど人々の労働意欲がなくなったら世の中上手く回りませんので、まぁその辺で限界を迎えているってことです。
それでこの先の展開なんですが、とりあえず人々の我慢の限界が来るまで現行システムが維持されるとして、その後戦争でリセットするか間違いに気付いて社会のシステムを変えるかの二択を迫られることになります。
後者のパターンはソビエト連邦の解体が例として挙げられますね。
ソ連解体時は結果として国内が混乱して餓死者数百万人とか出したらしいんですが、戦争の道を選ばれると我々日本人もただではすまなかったかもしれないんで、そこは素直に感謝いたします。
そしてこの記事のタイトルである「B to Cを目指す理由」がここでようやく登場するんですが、日本がそうなったときに戦争でリセットする道を選ばないように、或いは社会システム変更による混乱を少なくするために、或いは自分自身がそうなったときに上手く立ち回れるように、現行の似非法人税システムの出資者が絡まない形でどうやって商売を成り立たせるか、その方法を模索するのが「B to Cを目指す理由」になります。
ソ連解体時の混乱っておそらくですが、それまで国民全員公務員だったのが無職になって放り出されたのが原因で、まぁ極端なことを言えば自由を与えると言われていきなり自然のジャングルの中に放り込まれてサバイバル生活に対応できなかった奴から死んでいったようなもん。
そんな国民全員がいきなり無職になるような場合でも、国民の民主主義の意識が高ければ社会の混乱は起こらず平穏無事な日常生活を送ることが出来る、というのが筆者の意見です。
だからその時に向けて準備をしているといったところですかね。

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